第8話

わすれもの館の ひみつ

文字の大きさ
⏱ 約13分

わすれもの館の暖炉に、パチパチと心地よい薪のはぜる音が響いていた。

外は冷たい木枯らしが吹きすさぶ十二月の夕暮れ。けれど館の中は、シオリさんがいれてくれたアールグレイの紅茶と、焼き立てのスコーンの甘い香りに満ちている。

「さあ、みなさん。冷えた体を温めてくださいね」

藤色の髪を大きなリボンで結んだ館長――シオリさんは、矢がすりの着物のたもとを上品に押さえながら、丸いメガネの奥の瞳をやさしく細めた。

「わあい、スコーン! イチゴジャムたっぷりポケ〜!」

赤い毛糸玉の付喪神(つくもがみ)、ポッケが小さなお皿のまわりをパタパタと飛び跳ね、スコーンの角をかじっては、ほっぺを落としそうになっている。

「シオリさん、教えて」

星川(ほしかわ)こはるは温かいティーカップを両手で包み、シオリさんをまっすぐに見つめた。

「このわすれもの館のこと……そして、シオリさんとワスレナのこと」

「……ええ。お話ししなければなりませんね」

シオリさんは窓の外のあかね色の空を見つめ、静かに語りはじめた。

その声は、まるで古い蓄音機から流れるオルゴールのように、穏やかで、どこか懐かしかった。

大正の初め、まだこの坂の下を黒い蒸気機関車が走っていたころ。

古い赤レンガの月見坂駅には、小さな「お忘れ物取扱所」があった。

そこには、白髪のとてもやさしい駅長さんがいた。

駅長さんは、汽車に乗った人々がうっかり落としていった手ぶくろや傘、子どもの人形を、ひとつひとつ大切に布で磨いては棚に並べた。

『どんな小さなハンカチ一枚にも、持ち主の思い出と温もりがある。誰かが探して泣いているかもしれないからね。みんな、おうちに帰してあげよう』

駅長さんは毎晩、石油ランプの明かりの下で荷札を書き、持ち主を捜しつづけた。町の人はみんな、そのやさしい笑顔が大好きだった。

けれど、やがて時代は移り変わり、駅長さんは天寿を全うして静かに眠りについた。

昭和の終わりに新しい駅が海沿いに作られ、役目を終えた古い駅舎は取り壊されることになった。

けれど――。

「この建物そのものが、駅長さんのやさしい願いを、ずっと覚えていたのです」

シオリさんは自分の胸にそっと手を当てた。

「『すべてのわすれものを、愛する持ち主の元へ帰したい』……その強い祈りから、この取扱所の魂が目覚め、わたくしが生まれました」

「シオリさんは、駅長さんの願いから生まれた付喪神だったのね……」

九条(くじょう)アヤメが「わすれな手帳」にペンを走らせながら、静かにつぶやいた。

「ええ。ですが……」

シオリさんの澄んだ声が、ふっと曇った。

「百年の間には、どんなに待っても、とうとう迎えが来なかったモノたちがたくさんありました。持ち主が遠くへ引っ越してしまったり、亡くなってしまったり……。残されたモノたちの『どうして迎えに来てくれないの』という深い悲しみが、地下倉庫に黒いよどみのように積もり、いつしかわたくしの影――ワスレナとなってしまったのです」

暖炉の火がフッと揺れ、部屋の影が濃くなった。

「忘れてしまえば、もう悲しまない……それがワスレナの選んだ道です。けれど、忘れられることこそが、モノにとっても、人にとっても、いちばんの孤独なのです」

「地下倉庫を調べよう」

こはるは立ち上がり、きっぱりと言った。

「ワスレナを救う方法も、カナタくんの記憶を取り戻す手がかりも、きっとそこにあるはずだよ!」

「う、うそだろこはる!?」

犬飼(いぬかい)タイガが椅子から転げ落ちそうになりながら叫んだ。

「百年前の地下室だぞ!? 絶対におばけの総本山じゃねーか! オレはここで留守番して、スコーンの番をしてるぜ!」

「何を情けないことを言っているの、犬飼くん」

アヤメが冷たい目でタイガを見下ろした。

「探偵団の一員でしょう。それとも、転校生を見捨てる気かしら?」

「うぐっ……見捨てるわけねーだろ! あいつは気に食わねーけど……あんな寂しそうな顔されたら、放っとけるかよ!」

タイガが鼻のばんそうこうを押さえて立ち上がると、シオリさんが微笑んで、棚の奥から小さな木の小箱を持ってきた。

「タイガさん。勇気あるあなたに、これをお預けします」

小箱の中から現れたのは、親指ほどの小さな、滑らかに削られた木の笛だった。

「これは……?」

「『よびもどしの笛』ですのよ」

シオリさんはやさしく言った。

「たそがれの闇に迷い、自分を見失いそうになった人の名前を心に浮かべて吹くと、その人の魂へ、まっすぐに呼び声が届くと言われています。どうか持っていてください」

「よびもどしの笛……!」

タイガはおそるおそる笛をくわえ、ピュイッと吹いてみた。

小鳥のさえずりのような、澄み切った清らかな音が館に響き、タイガの手のひらがじんわりと温かくなった。

「すげえ……! よし、オレにまかせろ!」

タイガは胸をたたいて笛を大切にポケットにしまった。

「さあ、参りましょう」

シオリさんが腰の真ちゅうの鍵束を手に取り、地下倉庫の重たい鉄の扉へと向かった。

ジャラリ……と重い音が響き、太い鉄の鎖が外される。

ギギギ……と古い扉が開いた瞬間、ヒヤリとした地下の冷気が吹きあがってきた。

石の階段を一段ずつ下りていく。ギシッと床板が鳴るたび、タイガが「ひゃっ!」と飛び上がってアヤメに「静かにしなさい!」と怒られていた。

階段を下りきった先には、息をのむような光景が広がっていた。

天井の見えない広大な空間。

見渡す限り、どこまでも連なる古びた木製の棚。

そこには、大正、昭和、平成と、それぞれの時代に取り残された無数のわすれものが、うっすらと白く光を帯びて静かに眠っていた。

ゼンマイ仕掛けのブリキの機関車、色あせたテディベア、小さなランドセル、万年筆、ガラス玉……。

「すごい……ここは、わすれものの海だわ」

アヤメが息をのむ。

すると、こはるのケープのポケットから飛び出したポッケが、クンクンと宙のにおいを嗅ぎはじめた。

「こはる! あっちから、すごく懐かしいにおいがするポケ!」

「えっ、ポッケ、待って!」

ポッケはふわふわと宙を飛び、奥の棚のすきまへと潜りこんだ。

こはるたちが駆け寄ると、ポッケは一つの古い木箱の上に乗っていた。

そこにあったのは――。

やわらかな赤い毛糸で編まれた、小さな子ども用のマフラーだった。

「これ……!」

こはるは息をのんだ。

マフラーの赤い毛糸は、ポッケの体と、色も編み目もまったく同じだったのだ。

ポッケがマフラーにすり寄ると、毛糸がぽうっと淡いオレンジ色の光を放った。

「あったかいポケ……! これ、ボクと同じ毛糸とお日さまのにおいがするポケ……!」

そして、マフラーの端に結ばれた古びた荷札には、万年筆のやさしい筆跡で、こう書かれていた。

『夜見 カナタ様 五歳』

「カナタくんの名前……!」

こはるの手が震えた。

「カナタくんのマフラーだわ……! カナタくんは本当に、五年前、この町にいたんだ!」

そのときだった。

ゴオォォォ……!

地下倉庫の奥深くから、凍りつくような突風が吹き荒れた。

棚に並んでいた古いモノたちがカタカタと激しく震えだす。

「きゃあっ!?」

冷たい黒い霧が、床のすきまから滝のように湧きあがってきた。

室温が一瞬で氷点下まで下がったかのように、吐く息が真っ白に凍りつく。

棚の上に置かれていた、片目の取れた古いフランス人形、ゼンマイの壊れた鉄人ロボット、ちぎれた野球のグローブが、黒い霧に包まれて宙へと浮かび上がった。

グルルルル……!

何十もの悲しげな丸い瞳が、暗闇の中で赤くギラギラと光った。

「ノラモノの群れだわ……!」

アヤメが叫ぶ。

「ワスレナの眠りを邪魔されて、怒っているんだわ!」

カラン、コロン――ポロロン……。

遠く地上から、夕方五時のチャイムが響いてきた。たそがれ時間の到来とともに、ノラモノたちの力が増大していく!

「その"わすれもの"、わたしが届けます!」

こはるは叫んだ。

「ポッケ、いくよ!」

「まかせるポケ!」

「星めがね、オープン!」

ポッケが光となって左手にはまり、オレンジの探偵ケープと星めがねが輝く。

けれど、相手は一匹や二匹ではない。何十ものノラモノたちが、黒い津波のようになって押し寄せてくる!

「うわああああっ! 出たーっ! おばけのバーゲンセールだあああ!」

タイガが叫びながらポケットから笛を取り出そうとしたが、あまりの恐怖に手が震え、ポロッと足もとに落としてしまった。

「ああっ、笛がああ!」

「犬飼くん、しっかりしなさい!」

アヤメが叫ぶが、黒い霧の触手がこはるの足もとへ巻きついた。

「きゃっ……!?」

冷たい霧がこはるの体を締めあげ、底なしの暗闇へと引きずり込もうとする。

「こはる――っ!」

星めがねが弾き飛ばされそうになり、暗黒の渦に飲み込まれかけた、その瞬間――。

バサァッ!

闇を切り裂いて、一筋の黒い風が吹き抜けた。

銀色にきらめくステッキが空を払い、こはるを締めあげていた黒い霧を鮮やかに断ち切った!

「えっ……!?」

抱き留められた腕の感触。

見上げると、黒いシルクハットと白い仮面をつけた少年――怪盗ミッドナイトが、こはるをしっかりと抱き抱えていた。

「カナタ……くん……!」

「馬鹿者が。なぜこんな危険な場所へ足を踏み入れた」

仮面の奥の灰青色の瞳が、焦燥に揺れていた。

怪盗はマントを翻し、懐から黒いトランプのカードを無数に投げ放った。

シュシュシュッ!

鋭い風をまとったカードがノラモノたちの急所を捉え、怪物の群れを次々とひるませていく。

そのときだった。

地下倉庫の最も深い闇の底から、地響きとともに、幾重にも重なり合う冷酷な声が響きわたった。

『……カナタ……』

黒い巨大な影が立ちあがり、青いワスレナグサの花が不気味に輝いた。

『裏切るのかい、カナタ……? お前を覚えている人間など、この世界のどこにもいないというのに……』

「くっ……!」

カナタの体がこわばった。

『お前はわたしの操り人形……思い出を集めるだけの影法師……。戻っておいで、冷たい忘却の腕の中へ……』

「黙れ……!」

カナタは歯を食いしばり、こはるの手を引いて階段へと押し出した。

「逃げろ、星川! 早くここから出ろ!」

「ハァッ……ハァッ……!」

地下倉庫の扉を力いっぱい閉め、シオリさんが鍵をかけ直した。

館の外へと転がり出たこはるたちは、冬の冷たい夜風を胸いっぱいに吸いこんだ。

木立の陰、月明かりの下に、息を切らすカナタが立っていた。

すでに仮面とマントは解け、いつもの紺色のジャケット姿に戻っている。

「カナタくん!」

こはるは駆け寄り、胸に抱きしめていたものを差しだした。

あの地下倉庫で見つけた、赤い小さなマフラーだ。

「これを見て! 地下倉庫にあったの! 『夜見カナタ様 五歳』って書いてあるの! カナタくんを待っている人は、絶対にいるんだよ!」

カナタの灰青色の瞳が大きく見開かれた。

その赤いマフラーを見るカナタの手が、小刻みに震えだす。

「……マフラー……?」

カナタの唇から、かすかな声が漏れた。

カナタの指先が、吸い寄せられるようにマフラーの毛糸へと伸びかける。

けれど次の瞬間、カナタは苦しそうに胸を押さえ、激しく首を振った。

「……違う……そんなはずはない……! 僕の家族なんて、もうどこにもいないんだ……!」

「うそじゃないよ! この毛糸、ポッケと同じなんだよ! カナタくんの思い出は、確かにここにあるんだよ!」

こはるが必死にマフラーを差しだそうとした。

けれどカナタは、その手をパシッと冷たく払い落とした。

「……もう、僕にかまうな!」

マフラーが冷たい地面へと落ちる。

カナタは暗い瞳でこはるを見据え、氷のような声で告げた。

「忠告しておく。ワスレナの力は、もう僕にも抑えられない。……次の十二月十日、小学校の学芸会の日だ」

「えっ……? 学芸会……?」

「その日、ワスレナは町じゅうの人間の大切な思い出を、一度にすべて奪い去るつもりだ。学校中の子どもも、大人たちも……すべてを忘れて、ただの抜け殻になる」

「そんな……町じゅうの思い出を、一度に!?」

タイガが叫び、アヤメが息をのんだ。

「防ぎたければ、僕を止めてみろ。……できるものならな」

そう言い残すと、カナタは夜の闇の中へと背を向け、二度と振り返らずに駆け去っていった。

「カナタくん――っ!」

こはるの叫び声は、冷たい木枯らしにかき消された。

こはるは地面に落ちた赤いマフラーを拾い上げ、泥を払って、胸に強く抱きしめた。

冷たい風が吹き抜ける中、アヤメが静かに歩み寄ってきた。

アヤメはすみれ色の「わすれな手帳」を開き、万年筆の先を紙の上に走らせた。

迷いのない、力強い筆跡で、そこに文字が刻まれていく。

『十二月十日 学芸会。決戦。』

「絶対に負けられないわね、こはる」

アヤメが顔を上げ、きりりとした瞳でこはるを見つめた。

「うん……! カナタくんも、町のみんなの思い出も、絶対に救ってみせる!」

こはるは固く誓った。

冬祭りを目前に控えた月見坂に、最大の戦いの足音が近づいていた。

第8話 おわり

おもしろかったら、作者を応援してね!

『ポッケと わすれもの探偵団』は、だれでも無料で読めるオリジナル作品です。OFUSE(オフセ)から、ひとこと応援やファンレターを送ることができます。みなさんの応援が、続きのお話や新しいイラストの力になります。

💌 OFUSEで応援する

※ 小学生のみなさんは、おうちの人といっしょに見てね。

おうちの人や友だちにシェア