第2話

転校生は、止まった時計

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⏱ 約13分

「みんな、席について。今日は新しいお友だちを紹介します」

火曜日の朝のホームルーム。担任の森先生がおっとりとした声で言うと、五年二組の教室がざわざわと波打った。

ガラリと教室の前のとびらが開き、ひとりの男の子が入ってきた。

教室の空気が、一瞬でシンと静まり返る。

銀色のさらさらの髪。冬の朝の湖のように冷たい、灰青色の瞳。紺色の長めのジャケットに、首には深い青色のマフラーを巻いている。

「きゃあ、かっこいい……」

「モデルさんみたい……!」

前の席の女の子たちが顔を見合わせて小声でささやきあう。

男の子は黒板の前に立つと、チョークを手に取った。迷いのないきれいな字で『夜見カナタ』と書く。

「夜見(よみ)です」

それだけだった。

十秒待っても、二十秒待っても、次の言葉が出てこない。

「ええと、夜見くんは遠くの町から引っ越してきたのよ。みんな、仲よくしてね。席は……星川さんの隣が空いているわね。一番窓側の後ろから二番目よ」

「はい」

夜見くんは短く返事をして、長い足でツカツカと歩いてきた。

そして、こはるのすぐ隣の席にカバンを置き、窓の外の空を見つめてすわりこんだ。

(……やっぱり!)

こはるは息をのんだ。

昨日の夕方、わすれもの館の屋根の上に立っていた、あの銀髪の少年だ。横顔の冷たさも、風をまとったような雰囲気も、あのときのままだ。

「あ、あの……わたし、星川こはる! よろしくね、夜見くん!」

勇気を出して笑顔で話しかけてみた。

夜見くんはゆっくりとこちらに視線を向けた。けれど、その瞳には何の感情も浮かんでいない。

「……別に」

「えっ?」

「よろしくする必要はない。僕にかまうな」

ピシャリと言い捨てて、彼はまた窓の外へ視線を戻してしまった。

「な、なんだあいつ! 愛想ねーな!」

前の席からタイガが身を乗り出してきた。

「おい転校生! こはるがせっかく愛想よく挨拶してやってんのに、その態度はねーだろ! オレは五年二組のキャプテン犬飼タイガ様だぞ!」

「……うるさい。犬みたいにほえるな」

「い、犬だとぉぉっ!? オレは虎だぜ! 表に出ろーーっ……ぶぎゃっ!?」

タイガは机から立ち上がろうとした瞬間、机の角に足の小指を思いきりぶつけて、床に転がって大さわぎした。

「い、いででで……小指……オレの黄金の右足の小指があああっ!」

「もう、タイガったら何やってるの!」

教室じゅうが大爆笑に包まれる中、夜見くんだけはピクリとも表情を変えなかった。

そのとき、こはるの机の横にかけたランドセルから、モゾモゾと小さな声が聞こえた。

『こ、こはる……!』

ランドセルのフタのすき間から、赤い毛糸のボンボンが顔をのぞかせている。ポッケだ。

今朝、家を出るときに「ボクも行くポケ! メロンパンのにおいがするポケ!」とランドセルに潜りこんできたのだ。

『こはる……なんか、あいつのそばに行くと、ボクの毛糸がチリチリするポケ……!』

「チリチリ……? 静電気?」

『ちがうポケ! 毛糸がチクチク引っぱられるみたいな、ふしぎな感じだポケ……あいつ、ただの人間じゃないポケ……!』

ポッケは警戒するように黒い目を細め、夜見くんの背中をじっと見つめていた。

二時間目の音楽の授業。

音楽室に移動すると、ピアノの前に立つ森先生が、どこか落ち着かない様子で楽譜の棚を何度も開け閉めしていた。

いつもはおっとりとして優しい森先生の眉が、困ったように下がっている。

「先生、どうかされたのかしら?」

学級委員長の九条(くじょう)アヤメが、すっと手をあげてたずねた。

「ああ、九条さん……。実はね、ずっと大切にしていた楽譜が見当たらなくなってしまって」

「楽譜……?」

「ええ。私が子どものころ、ピアノを教えてくれた恩師の立花(たちばな)先生が、手書きで書いてくださった世界にひとつだけの楽譜なの。私がピアノを大好きになった、とても大切な思い出の曲で……今日の授業で、みんなに聴かせてあげようと思っていたのに」

森先生は悲しそうにピアノの鍵盤をなでた。

胸がきゅっと痛んだ。

昨日のかんざしと同じだ。大切な思い出の品がなくなってしまうのは、本当にさびしい。

こはるは左手をそっとポケットに入れた。そこには、星めがねが大切にしまってある。

「森先生、わたし放課後に探してみます!」

「まあ、ありがとう星川さん。でも、無理はしないでね」

放課後。夕方の風が少し冷たくなってきたころ。

こはるとタイガ、そして「事件の気配がするわね」とノートを開いたアヤメは、商店街の入り口までやってきていた。

すると、商店街の真ん中にある掲示板の前に、人だかりができていた。

「なんだあれ? 人だかりだぜ!」

タイガが駆けだす。

町内の回覧板やお知らせが貼られる木製の掲示板。その中央に、見たこともない黒いカードが画びょうで留められていた。

トランプのような漆黒のカードに、銀色のインクで優美な文字が躍っている。

「これをごらんなさい」

アヤメが鋭い目を光らせ、カードを読み上げた。

『今宵、あなたの"いちばん大切な思い出"をいただきます。――怪盗ミッドナイト』

「怪盗……ミッドナイト!?」

こはるとタイガは顔を見合わせた。

「な、なんだよこれ! マンガかよ! オレたちの町に怪盗なんて出るわけねーだろ!」

「いたずらにしては、妙に手が込んでいるわね」

アヤメは革表紙の推理ノートにペンを走らせる。

「トランプの紙質は特注の上質紙。銀のインクにはかすかな夜霧の香りがついています。ただの子どもの落書きとは思えないわ」

怪盗ミッドナイト。

思い出を盗む、怪盗……?

その言葉を聞いた瞬間、ポケットの中の星めがねが、ジリリと小さく熱を持ったような気がした。

コーン、コーン、コーン……。

午後五時のゆうやけチャイムが、坂の町に響き渡った。

空が朱色から深い紫へと染まり、街灯の光がちらつきはじめる。

「あ、五時だ! 森先生、まだ学校に残って楽譜を探してるって言ってたよね!」

「オレ、ちょっと見てくるぜ! 怪盗が出たら、オレのキックで撃退してやる!」

「待ちなさい犬飼くん、単独行動は危険よ!」

アヤメとタイガが学校へ向かって走りだす。

こはるも駆けだそうとした、そのとき。

『……ひんやり……暗いよ……ピアノの音が、きこえない……』

耳の奥で、カサカサと紙がこすれ合うような、小さな声が聞こえた。

「楽譜の声……!?」

ポケットからポッケがピョコンと顔を出した。

『こはる! 学校の音楽室から、すごい冷たい風が吹いてくるポケ!』

「急ごう、ポッケ!」

夕暮れの校舎は、昼間とはまるで違う生きもののように静まり返っていた。

階段を駆けあがり、二階の音楽室のドアを開ける。

ギィ……。

音楽室の中は、夕焼けの光と濃い影で二つに割れていた。

ピアノの前に、森先生がぽつんと座っている。

けれど、その目の前には――。

黒いシルクハットに、白い仮面。

夜霧のようにすそがたなびく、漆黒のマントをまとった少年が立っていた。

「だ、だれ……!?」

こはるの声に、仮面の少年が静かにふり返った。

仮面のすき間から見える、冷たい灰青色の瞳。首元には、見覚えのある深い青色のマフラー。

(夜見くん……!? うそでしょ……!?)

怪盗は何も言わず、森先生の胸元にスッと白い手袋の手をかざした。

シュルシュルシュル……!

森先生の胸から、淡い光の粒が吸い出されていく。

光は怪盗の手のひらの中で丸まり、やがて、底知れない闇をたたえた黒いガラス玉――『わすれ玉』へと変わった。

「あ……れ……?」

森先生の瞳から光が消え、ぼんやりと鍵盤を見つめた。

「私……どうしてここにいるのかしら……? ピアノなんて、どうして弾いていたんだっけ……?」

「森先生!」

こはるは叫び、ピアノの前へ飛びこんだ。

「何をしたの!? 先生の思い出を返して!」

怪盗ミッドナイトは、仮面の奥で静かに目を細めた。

「今宵の思い出、確かにいただいた」

冷たく澄んだ、芝居がかった丁寧な声。

「返してほしければ――その思い出の品を見つけることだ」

「えっ……?」

怪盗はそう言い残すと、手の中にあった黒いわすれ玉を、なぜかピアノの譜面台の上にコロンと残した。

そして、ふわりとマントを翻す。

黒い夜霧が立ちこめ、怪盗の姿は夕暮れの窓の外へと溶けるように消え去ってしまった。

「消えちゃった……! な、なんだったんだポケ、あいつは……!?」

ポッケがこはるの肩の上で目を丸くしている。

譜面台の上には、黒く濁ったガラス玉がひとつ。

触れると、胸がキュッと締めつけられるような、切ない冷たさが伝わってきた。

「これが、森先生の思い出……。早く楽譜を見つけて、元に戻さなきゃ!」

森先生は椅子の背にもたれ、夢の中にいるようにぼんやりとしている。

こはるは左手を前に突きだした。

「その"わすれもの"、わたしが届けます!」

「まかせるポケ!」

ポッケがこはるの左手へ飛びこみ、すっぽりとはまる。手の甲にあたたかいポッケの顔が浮かびあがる。

「星めがね、オープン!」

キィィン――!

星めがねが黄金色に輝き、光の粒子がこはるを包む。

夕焼けオレンジの探偵ケープに星のボタン、頭にはベレー帽。

こはるは星めがねを構え、音楽室の中を見渡した。

『……ここだよ……暗いよ……ピアノのそばに、いきたいよ……』

星めがねのレンズを通すと、音楽室の奥――音楽準備室の扉のすき間から、細い赤い光の筋がゆらゆらと伸びているのが見えた。

「あっちだ!」

準備室のドアを開ける。

そこには、使われなくなった古い足踏みオルガンや、太鼓が並んでいた。

赤い光は、足踏みオルガンの裏側の、わずか数センチのすき間へと吸いこまれている。

「オルガンの裏だ! ポッケ、引っ張るの手伝って!」

「合点だポケ!」

ふたりでよいしょ、よいしょと古いオルガンを少しだけ手前に動かした。

すき間に手を差しこむと、指先にざらりとした紙の手ざわり。

引き抜いたのは、何枚もの五線譜が丁寧に糸で束ねられた、古い手書きの楽譜だった。

表紙には、やさしい筆跡でこう書かれている。

『夕暮れの坂道で ――大好きな森ちゃんへ 立花』

「見つけた……!」

楽譜を手にした瞬間、ポッケが叫んだ。

「こはる、森先生のところへ急ぐポケ! たそがれ時間が終わっちゃうポケ!」

音楽室へ駆け戻る。

こはるは森先生の冷たくなった両手に、そっと手書きの楽譜を持たせた。

そして、もう片方の手で、譜面台の黒いわすれ玉をつかみ、楽譜にそっと近づけた。

「見つけたよ。――おかえり、わすれもの!」

こはるは星めがねをかかげ、優しく呼びかけた。

「森先生、思い出して……! 先生の大切な、ピアノの思い出を!」

フワァッ……!

楽譜と黒い玉が触れ合った瞬間、奇跡が起きた。

黒く濁っていたガラス玉の底から、ぽっと小さな光が灯ったのだ。

黒い色がみるみるうちに透き通っていき、まるで朝露のように澄んだ透明な玉へと変わっていく。

パリン、とやわらかな光の音がして玉がはじけ、無数の金色の光の粒となって、森先生の胸の中へと吸いこまれていった。

「あ……」

森先生の瞳に、あたたかな光がもどった。

手の中の楽譜を見つめ、先生の瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。

「立花先生……の、楽譜……。私、思い出したわ……! 私、先生が弾いてくれたこの曲が大好きで、ピアノを始めたんだったわ……!」

森先生は震える指で、ピアノの鍵盤に手を置いた。

ポロン……。

静かな音楽室に、ひとつの澄んだ音が響いた。

続いて、やさしく、どこか懐かしいメロディが紡ぎ出されていく。

その曲を聴いた瞬間、こはるとポッケは顔を見合わせた。

「この曲……!」

「ゆうやけチャイムの曲だポケ……!」

そう、毎日午後五時に町じゅうに流れる、あのオルゴールのようなメロディ。

森先生の恩師の立花先生が、この月見坂のために作った曲だったのだ。

夕焼けの教室に、あたたかな音楽が満ちていく。

森先生の笑顔を見て、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。

(でも……どうして怪盗ミッドナイトは、わすれ玉を置いていったんだろう……?)

思い出を盗むと言いながら、まるで、こはるたちに思い出を見つけさせようとしているみたいだった。

学校を出るころには、すっかり夜の帳が下りていた。

坂道の街灯が、足元を黄色く照らしている。

ふと、坂の途中の細い路地の奥に、人影が見えた。

足をとめて、そっとのぞきこむ。

街灯の明かりの下、紺色のマフラーを巻いた夜見くんが、冷たい地面にかがみこんでいた。

「……ほら、ミーコ。パンの耳だ。食えよ」

夜見くんの足元にいたのは、小さな三毛ネコだった。

三毛ネコ――ミーコはうれしそうに喉をゴロゴロと鳴らし、夜見くんの差し出したパンを夢中で食べている。

夜見くんの手が、ミーコの頭をやさしくなでていた。

昼間の冷たい表情とはまるで違う、おだやかで、どこか泣きそうな横顔。

その左手には――。

月明かりを浴びて、銀色の懐中時計が握られていた。

文字盤の針は、五時ちょうどを指したまま、ピクリとも動いていない。

(夜見くん……あなた、ほんとうは……だれなの……?)

カチリ、と夜の風の中で小さな金属の音が響いた。

第2話 おわり

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